たいやき神田達磨について<

たい焼きの哲学

とある老舗のたい焼き店に、縁あって足を運ぶ機会がありました。道路に溢れ出した人々、(ここが目的の店かな?そうであってほしいけどそうじゃないほうが有り難いな)などと考えているうちに店にたどり着く。盛況である。その行列ぶりに一瞬怯んだものの、折角電車に乗って買いに来たのだからと思い留って後尾に並び、待つこと30分余り・・・
(それにしても、これほどの行列を生み出すたい焼きとは一体どれほどのものなのか)という思いを抱き始めていた私の疑念を見事に吹き飛ばしてくれた衝撃の美味しさ!
(なぜ?たった二つの、皮+あんこという極々シンプルな組み合わせにすぎない菓子が、なぜにこれほどまでに旨いんだ!?)

・・・そんな体験から3年後、私は神田達磨を神田小川町の地に開業しました。
別にあんこが好きだった訳でもなんでもない私の身に起きた衝撃の体験から3年の間に、名のあるたい焼き店を数多食べ歩き、繁盛する店には幾度となく足を運びました。その頃にはすっかりあんこが好きになり、たい焼きの奥深さに魅せられるようになっていました。
私が老舗に学んだこと、それは焼きたてにこそたい焼きの真の価値があることを教わりました。そして春夏秋冬いかなる時間帯に買いに行ってもその期待は裏切られないことも。ぶれない品質管理、その為のお店の苦労は察して余りあるものです。単純明快なこの「たい焼き哲学」をどのレベルで実践しているか、それがその店の価値を決めるといっても過言ではないと私は考えています。
この「たい焼き哲学」、そして買ったらすぐ食べていただくという「たい焼き文化」が世間に遍く知られるよう神田達磨は注力して参ります。

たい焼きの歴史

明治末期のこの時代、鯛と云えば高級魚の代名詞。縁起ものの魚としても重宝されていた鯛は、庶民の手に届かぬ代物だったのです。
そこに「たい焼き」が生まれました。一つ作るのに一本のコテ(鋳物)を使い、あらかじめ熱しておいたコテの片方に 小麦粉、水、重曹からなるタネを流し、自家製の餡をのせる。そして再度上からタネを流したのち、もう一方のコテで挟み込む。 ガス火で炙ること数分で皮は薄皮のパリパリに、餡子は火傷するほどアツアツのたい焼き が完成します。この伝統こそが、明治に始まり大正、昭和、平成の今日に至るまで、およそ一世紀の歳月 を生き抜き、今に受け継がれる伝来の技。本物の鯛を食べられなかった人々が、心の贅沢品として楽しんだ薄皮のたい焼き。いつの時代にも、たい焼きのまわりには、今と同じようにあったかい笑顔があったはずです。
たい焼きの歴史が教えてくれること、その心を大切に。

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